おはようございます。
本多泰輔です。
世界同時株安は意外に長引いています。
ただ、私を含めた一般人の多くは「そのうちに反騰するだろう」と思っているみたいで、ニュースとしての扱いは宮崎県の東国原知事の発言よりも小さく、日興コーディアルの上場廃止の行方も含め、全体に関心が薄いようです。
ひとつの株式を何年も持ち続ける個人投資家にしてみれば、実体経済に大きな不安要素はないのだから、半年もすれば持ち直すだろうという楽観的な判断が大方を占めているようですね。
事実、ニューヨーク市場は急落の翌日に反騰し、以後反落、反騰を繰り返し徐々に復元しつつあります。しかし、ニューヨークに較べると東京市場は落ちっぱなしという感があります。
投資家の思惑とは異なる動きを市場がとるというのが、日本の株式市場の性格なのでしょうか。株式市場より為替市場のほうが変動は凄いですね。
やはりヘッジファンドが動いているのでしょうか。動いたっていいんですけど。こちらもニュースではほとんど軽く触れる程度ですけど、魂消るほどの変動幅です。10年前なら日銀が青ざめ、輸出企業は卒倒するような円高ですよね。
一日で1円上がるのは当たり前。二日で4円上がるなんて暴力的なレートの変動もありました。もはや一喜一憂しないという話ではありません。
95年の円高のときは、円レートが1円上がると輸出企業の利益が半減するといわれました。85年の円高では1円上がれば天下のソニーでも利益がなくなるとソニーの人から聞いたような気がします。
今回の円高で世間が騒がないのはなぜなのでしょうか。海外に生産拠点を移しているので為替変動の影響が少ないからでしょうか。
と思ってちょっと調べてみたら、確かに対ドル、対ユーロとも2月末から短期間に急激な高騰をしているのですが、実は昨年末から大きく円安に触れていたのでした。したがって、現行の円レートは昨年レベルに戻ったという状況です。
騒がないわけですね。去年の11月と同じになっただけですから。むしろ昨年末からの3ヶ月弱が異常だったといえます。やっぱりヘッジファンドの円キャリートレードのせいだったのでしょうか。
で、ここらが潮時なので円の借入の担保だった株を円キャリートレードの解消とともに売りに出していると。ま、妄想ですけど。
日銀が利上げしたがったのもわからんでもないですね。そんな環境ですから、世間はあまり騒がないし、それゆえ経済雑誌もあまり話題がないわけですね。
ああ、やっぱり株買っとけばよかったなあ。
■「勉強法」が売れている
「勉強法」の本が売れているようです。中経出版の『できる人の勉強法』、すばる舎の『速読勉強術』が昨年末から1月にかけて出版され、いくつかの書店で売上1位になっています。
かつてのベストセラー野口悠紀雄の『超勉強法』も文庫になって出ていますね。受験シーズンだから売れているんじゃないのと思ったら、買っていく人は圧倒的に30代のビジネスマン。
「勉強法」の本はビジネス書なんですよ。
もちろん受験もののジャンルにも勉強法はあります。
タイトルだけでは区別がつきません。
ビジネス書っぽいつくりになっているか、学参っぽい表紙か、見た目でなんとなくわかるところもありますが、著者はカリスマ受験講師とか精神科医とか、ま同じような人が書いてます。
「相手代われど主代わらず」というやつでしょうか。
「勉強法」の本は、地下水脈のように出版の歴史の中に常に存在しています。戦前にも『秀才の勉強法』というの本があったそうです。
どなたの本で読んだか忘れてしまいましたが、鳩山一郎ともう一人の人が東大で首席を争う成績競争は世間の耳目を集め、どこかの新聞では試験のたびに予想記事まで書くというスポーツ観戦の様相を呈していたとのこと。
肝心のもう一人の秀才がどなただったか、これも忘れてしまいましたが、ともかくもこの人のノートか何かを元に『秀才の勉強法』という本が出版されたのだそうです。
世間の耳目を集めていたのですから、本も多分売れたのでしょう。いまでも「東大生が書いた」という受験の本は多いですし、「東大生が書いた株の本」までありますから、似たようなものだったのかもしれません。
現代に話を戻します。『超勉強法』はオーソドックスな、というか古典的正統派の勉強法が縷々述べられている本です。
一方、最近の『できる人の勉強法』『速読勉強術』は手っ取り早く短時間で簡単にできるようになろうという、少し話が上手すぎないかという疑いを抱かせつつも、相応の説得力を持つ内容です。
正統派も手っ取り早く派も、工夫に多少の違いはあれど、昔から存在していた方法論ですから、ミリオンセラーに至るかどうかはわかりません。
むしろ「勉強法の本」の飽和→直接「脳の本」へ→「頭のよくなる本」の飽和→「勉強法の本」という循環の一場面ではないかと思います。
ただ、今回は「できる」というキーワードに少しビジネス書の活気の萌芽を予感させるものがあります。希望的妄想かもしれませんが。
■「勉強法」と「英語」の本は似ている
日本語で書かれた「英語ができるようになる」本をいくら読んでも、日本語は読めるようになっても英語ができるようにはなりません。
同様に『できる人の勉強法』を習得しても、勉強しないことにはやはり「できる人」にはなれません。
昔、ゴルフの下手な友人が(私も下手なのでもう3年ばかりやっていません)コンペの前に「イメージトレーニングをやっているんだ」と言ったので、「イメージするより練習しろよ」と適切かつ親切な助言を施してあげました。
すると彼は「いまから練習しても間に合わないからイメージトレーニングをやってるんだ」と、説得力に溢れる開き直り発言をいたしました。
彼のゴルフ結果は当然惨敗だったわけですが、人には勉強するのがしんどいから、楽な「勉強法の本」を読もう、英語を使うのはしんどいから「英語の本」でトレーニングしようという、モラトリアムに向かう心の動きがあります(少なくとも私にはあります)。
それでもイメージトレーニングは、トレーニングのひとつには違いないわけですから、完全否定、まるっきり後ろ向きな行為ではありません。
つまり心理学でいうところの合理化、「やってる振り」ですね。
仕事でもよくあります。
会議、ミーティングの好きな人は、一歩間違うと会議、ミーティングに逃げ込みます。いわば社外に仕事があるのに、社内に仕事を探す人たちです。
そんな不毛な本がなぜ出版の歴史とともに存在し続けるのか。「いくら読んでも上達しない」、だからこそ、常に読者のニーズがあるといえるのです。
実際の勉強や英語の訓練は、ある段階まではNo Pain No Gainですから痛みというか苦痛を伴います。楽じゃないことがあるわけですね。ゆえに挫折もあるわけです。
挫折してもまたやり直す人もいますし、そのまま撤退する人もいます。でも何年か後にまたやり直そうかという人も出てきます。
チャレンジ!→反復の苦痛→挫折→やり直しの決心→「勉強法」を一工夫してから→再チャレンジ!→やはり反復の苦痛→挫折
というサイクルか、
決心→まず「勉強法」から→ではチャレンジ!→反復の苦痛→挫折→違う「勉強法」で再度工夫→再チャレンジ!→やはり反復の苦痛→挫折
というラビリンスを多くの人が彷徨い続けているのではないでしょうか。合掌。
しかし、向学心は自他共に認めるところです。そこで読者の強い向学心に応えるべく、「勉強法」や「英語ができるようになる」本は常に供給されるわけです。
みんなが挫折しないで、英語をマスターしてしまったり、「できる人」になってしまったら「勉強法」の本は必要ありません。
話は変わりますが、これほど左様に人は苦痛を嫌うわけですから、「痛みに耐えて構造改革を実現しよう!」と叫んで人気を博した小泉前首相は、物凄いことをやったもんだと思います。
よほど度胸と信念のある人か、あんまり他人のことを考えない人か、どちらだったのでしょう。
■まとめ
またも話は変わって、いま昭和15年に発行された須田重信という人の『関東の史跡と民族』という本を読んでいます。280ページ、2円30銭ですから当時としても結構高い本です。
いわゆる私説民俗学で、当時、柳田国男、宮本常一を始めとしたフォークロアが一定のブームを持っていたことを偲ばせます。
内容的にも大胆な説が展開されていて、誠に啓発を受けるところ大なのですが、そうした功績とは別に序文にこういう文章があります。
「未だ浅い研究だけに聊か尻込みはしたが、然し考へて見れば何時國に召されるかも知れない身である。」
翌年には太平洋戦争に突入するわけですから、やはり著者自身逼迫したものを感じていたのでしょう。
学徒動員を前に短期間のうちに『魯迅論』を上梓した竹内好のように、「今やらなければ」という切羽詰った出版というものが当時には数多くあったのだと思います。
ではまた来週。
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