暑中お見舞い申し上げます!・・・あんまり暑くないですが 
                   
                ごぶさたしております。 
                本多泰輔です。みなさん、お元気ですか。わたしは元気です。 
                 
                メルマガを始めてから、何度目かの暑中お見舞いです。あんまり暑くないですが、と書いたのは2度目のような気がします。あの時も西日本のほうで、豪雨災害があったかと思います。被災地にお住まいのかたには、心よりお見舞い申し上げます。 
                   
                  昨年の夏は暑かったですね。 
                   
                  思えば、その一ヵ月後にリーマンショックが起きるとも知らず、09年4月新卒者の求人倍率はバブルを超えた!とか、資源価格高騰でウハウハの中東ドバイに地上5キロのバベルの塔みたいな、世界最高のビルが建つ!とか、日本経団連自身が賃上げも必要!と言ったとか、トヨタがついに世界一!なんていうある意味アツイ話題が続出でした。 
                   
                ああ、なつかしくもはかない夏の日の思い出。 
                 
                ところで、いま昨夏のメルマガを見ながら書いているのですが、去年の今頃『石油クライシス!』なんて本を出せば惨敗は目に見えてる、『ガソリンは必ず再び高騰する!』というタイトルでやったほうがいい、てなことを書いていました。 
                   
                  そういえばガソリン価格は、昨年9月から下がり続け、今春から再上昇しているんですよね。 
                   
                  けっこう当たってるじゃないか、と自分で感心しています。 
                   
                   
                  ■北京の蝶 
                   
                   
                  しかし、トヨタが販売台数世界一と囃し立てていた昨年のいまごろでも、国内の販売台数はずっと頭打ちだったわけですし、サブプライムローンを大量に保有していたリーマンは破綻懸念先だったのですから、世の中は水面だけ見てたらあかんのですね。 
                   
                  サン・テグジュぺリは、「一匹の羽虫の存在で100キロ先の砂嵐を見る」というようなことを『人間の大地』の中で書いています。同じような意味で「北京の蝶」ということばもありますね。 
                   
                  つまり、目の前に起きていることは、未来に起きることの予兆、サインととらえているわけです。 
                   
                  サン・テグジュぺリは、『星の王子様』の作者で郵便飛行機のパイロットでもありました。当時は地形を見ながら進路を確認していたため、常に雲の下を飛ばねばならず、雨や嵐など天候の異変には殊のほか敏感だったようです。 
                   
                  100キロ先にいるはずの羽虫がそこにいれば、嵐の最前線から飛ばされてきたのだと勘付くわけです。そして、半日後には当地は砂嵐の中にあると。 
                   
                そういう体験が「本当に大事なことは目に見えない」という、王子のことばになったんでしょうねえ。 
                『星の王子様』はけっこう奥行きのある本です。 
                   
                   
                  ■省エネタイプの文章 
                   
                   
                  このメルマガもそうですが、最近の本は数行ごとにわざと1行空けて文章を続けるものが増えました。最近といっても、3〜4年前からそうだったと思います。 
                   
                  小説でも、場面を変えるときに1行空けることがあります。しかし、最近の本は場面転換や文脈とは無関係に1行空きがとられています。 
                   
                  驚くのは、1ページに何箇所も1行分のスペースが空いていても、いまやこちらがなんとも思わないことです。 
                   
                  旧人類の本多でさえ大して気になりません。どんなにスカスカでも、もはや一つのレイアウトとして認めちゃっているので、ああ、なんか涼しげでいいねえ、とさえ思います。 
                   
                  明らかに昔に較べ、文字量が減っているので、200ページの単行本で、文字量3割減なら140ページしか書いていないことになり、4割減なら120ページ書いて終り、これは書くほうは楽ですね。たぶん読むほうも楽でしょう。 
                   
                  そして、こうした著者の省エネ(手抜きじゃない?)に大きく貢献している、頻繁に1行分空けるページレイアウトは、どうやら編集が意図的にやっているのではないみたいですね。 
                   
                  試みに、昔のように行を空けない詰め込んだ原稿と、スカスカなくらい1行空きを頻繁に繰り返した原稿を出してみたら、両方ともそのまま組版になって出てきました。 
                   
                  1行空きを頻繁にとるのも表現であって、著作権の一部であるという認識、・・・ではないと思いますが、いずれにしろ著者にとってはお得な風潮です。 
                   
                  なにしろ、空きを頻繁にとったら、担当編集者が「制作の人間が珍しく読みやすかったって言ってました」とコメントしてきたくらいです。あんまり書かなくてもいいんですね。 
                   
                というより、むしろあんまり書かないほうがいいと、そう言われてるみたいです。 
                   
                   
                  ■空白が多いのは紙の無駄か 
                   
                   
                  本には、商品としての形がありますから、ページ数が大きく削減されることはありません。見映えの上で、厚さは必要なんです。そのために紙を厚くすることさえあります。 
                   
                  それにページ数は価格に影響するからで、80ページの本に定価1300円はつけにくいですから、やはり180ページ以上になるよう紙は使わなければなりません。 
                   
                しかし、紙は180ページでも情報量は140ページ、だったら140ページで製本したほうが資源の節約になりますね。 
                 
                ま、たしかに紙の無駄です。 
                最も無駄なのは売れない本を大量につくることですが。 
                 
                オヤジ系週刊誌は、いまでも3段組み4段組で誌面がつくられています。単行本でも文学全集だと2段組はざらですね。これら多段組みは、戦前の統制経済下で、紙がないので一ページにできるだけ多くの文字を収め、かつなんとか読めるようにするための苦労の結果であるといわれています。 
                   
                1行空きを頻発するこんにちの組版とは対極ですね。 
                いま、われわれが空きスペースに違和感を覚えなくなったのは、周知の通り、ブログやメールの影響でしょう。単行本に、改行のたび空きをとる文面が現われたのもブログが一般化し始めたころでした。 
                   
                  ネットの文字組みが、紙媒体にも浸透したわけです。ネット文化の活字化ですね。お蔭で著者はすこし楽ができるようになりました。よかったですね。 
                   
                   
                  ■百年に一度の不況の中で 
                   
                   
                  百年に一度の不況といわれ、そんな中でたくさんのいわゆる「不況本」が出ました。不況をテーマにしたもの、不況に関連したもので
                  すね。 
                   
                  「トヨタはなぜ赤字になったのか」は出ていませんが。 
                   
                  世情を反映した本が出るのはいつものことですが、実は「不況本」自体が不況でした。要するに売れていないのです。 
                   
                  百年に一度の不況といわれ、もうすぐ一年になるわけですから、ほぼ戦果は明らかでしょう。全滅とはいわないですが、惨敗です。 
                   
                  「トヨタはなぜ赤字になったのか」も、これから出るなら相当に踏み込んだものでないと読者に相手にされることはないんでしょうな。 
                   
                  では、百年に一度の不況の中、なにが売れたかというと、大体が自己啓発本ですね。 
                   
                  「勉強法」とか「時間の使いかた」とか「人間関係」とか。 
                その傾向は何年も変わらない。 
                 
                どんなに不況でも、自己啓発本だけが動く状況というのは、異様な感じもします。 
                 
                読者は、どうして自己啓発にばかり向かうのか。 
                ほんと、会ったら聞いてみたい。 
                 
                要するに、みなさん自己啓発したいから読んでいるのでしょうね。 
                そりゃ、わたしだって自己啓発したくないわけではありません。 
                でも、自己啓発のために自己啓発本を読むって、英語を学ぼうとして日本語で書かれた「英語をマスターする本」を読むのと似ていて、ちょっと腑に落ちないところもあります。 
                   
                  ま、しかし日本語で書かれた「英語をマスターする本」も売れますからね。 
                  いまさら感いっぱいに「そういうものなんでしょう」とうなずくしかありません。 
                   
                   
                  ■新人著者を求める自己啓発本 
                   
                   
                  ただ、同じ自己啓発でも、一昨年はスピリチュアルでしたから、いくらか方向性に変化は見られます。 
                   
                そりゃ、いくらスピリチュアルでも、あれだけ出れば飽きられますわな。しかし、揺り戻しはあるかもしれません。 
                 
                なにしろスピリチュアルの世界は、スターの寿命は短いが、常にスターを求めている業界なので、だれか新しい人が現われれば、そこにまた人は集まってきます。アイドル業界みたいなもんかもしれません。思えばどちらも歴史が古い。 
                自己啓発とスピリチュアルの相性が、抜群によいことはすでに実証済みですから、自己啓発市場が豊かなうちは、スピリチュアル復権の可能性は常にあります。 
                自己啓発本は多くの場合、若い読者層をイメージしてつくられています。言い方をひっくり返せば、若い読者層を相手にしている出版社は、多くの場合自己啓発をテーマにしている。そして、読者層を若く設定している本は、著者も若い傾向にあります。 
                斉藤茂太さんのように例外もありますから、必ずしも若くなくてはいけないわけではありあませんが、編集部に若い著者を求める傾向はありますね。若いといっても、著者年齢は40代までは若いうちですから、割合チャンスはたくさんの人にあると思います。 
                   
                   
                  ■政権交代はチャンスか 
                   
                   
                今月末は、衆議院選挙ですね。 
                 
                もし、民主党の言うように政権交代が起きたとしても、世の中が大きく変わるとは思っていませんが、マネージャーが変わることによって、いままで表に出てこなかったことが、大量に公になることはあるかと思ってます。 
                 
                社長が変わると、前社長の派閥が粛清され、新派閥が前社長とその一派の失政を暴き立てるというのはよくあることで、今回、前社長の在任期間は54年に及ぶわけですから、暴露情報の洪水になるんじゃないかと思っています。 
                 
                それが果たして政治の季節の幕開けになるのか、不信が募ってますます政治離れになるのか、政治評論家の本はほぼ売れないが陽の目を見るようになるのか、そうなっても、やはり読者は自己啓発に向かうのか。 
                 
                そもそも政権交代が起きるのかどうか。 
                とりあえず注目しています。 
                 
                   
                   
                
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